デビルズアドボケイト

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■デビルズ・アドボケイト

 「教育」について例によって記憶を頼りにつらつらと考えてみようと思う。

 世間でよく言われていることで今更言わずもがなだが、日本の教育は知識量の拡大に重点を置いていると言われている。 

僕が受けた義務教育期と高校三年間の教育は実際そうだったと言える。

 飽くまで僕個人の感覚だけど―

 例えば、僕が日本でこれまで使った教科書―教科書のみです、他の参考書類は含めない―の内容を全て記憶して理解できていると仮定したならば、僕は、まず世界のいかなる教育機関でも苦もなく入学でき過ごせる、それぐらいの基礎知識「量」だと信じて疑わない。

 まあ、現実の僕はもちろんそうじゃないのでこれまで苦労したけど―ちゃんと勉強しとけばよかった―今更後悔しても「少年老い易く学成り難し」だけれども―。

 世界レベルで比較しても、日本の教科書で網羅している知識の「量」は世界に誇れるトップクラスだと思う。

 そして、その「量」を全員が等しく同じレベルを目指して教育することが到達目標であろうと思われる。特に義務教育時では、僕の知る教師の方々はじつに忍耐強くクラス全員の生徒を指導されていた。うがった見方をすれば教える教師の側でも結果責任が求められるだろうから、落ちこぼれ生徒がいるというのはその教師のプライドやひいては評価を考えれば無視できないだろうから情熱を傾けざるを得ないだろうけど―

 従い、ここでの登場人物は―生徒、教師、学校―、異論を挟む余地のない明瞭な物差しで学力としての「量」を測定し、評価し、比較する必要があるだろうから、勢い、テスト類は授業で教えられた知識を生徒がどれだけ記憶し理解しているか、といった主眼で測定なり評価されるといった具合だろうと容易に推測される。

 このシステムは生徒全体の知識「量」をできうる限り底上げするには多大に貢献していると思う。

 加えて「質」の面では、学校での行事、例えば入学式、運動会、遠足、日々の校内掃除などを通して集団行動、連帯感、協調性を集団の中で生徒に持たせる点では優れているし、うまくいっていると思う。一例を挙げると、街を歩いていてゴミが落ちていない、店先で商品が整頓され整然と並んでいる、理由はともあれどんなに急いでようが待ち行列を乱さない横入りをしない、といったことを日本に来たり住んだことがある海外の人が異口同音に口にするのを見聞きすると、国民性もあろうが、日本教育の勝利だと誇らしく思ったりする。

 また、義務教育期では栄養士が管理して給食が提供され生徒達を栄養面で支え育てる「食育」システム概念が実現されていることも日本式教育の手厚い一面と言える。

また、義務教育期では栄養士が管理して給食が提供され生徒達を栄養面で支え育てる「食育」システム概念が実現されていることも日本式教育の手厚い一面と言える。

 ひるがえって、僕の経験したイギリスの教育の印象は、個々の生徒の能力を見極めそれに合わせた考え方や思考性を尊重し、生徒個々の才能をのばすことに重点をおいていたように思う。

正直言うと、イギリスの教育システムは当時学校ごとに指導方針や考え方が違っていて複雑で全国で統一されていなかったし、自身でイギリス義務教育を体験していないので、あくまでカレッジに居た少しの期間の印象や友人との会話からの推測なので、限定はできないけれども―

 義務教育(因みに僕が滞在した時代では義務教育は十六才までの十一年間だった)の学力という点では、当時日本は主要国中二位で(一位は聞いたけれども忘れてしまった。西欧のどこかの国だったと思う)、イギリスは十数位で、小中学校比較では学校間、性別差がほとんどなく日本では高度の教育が平等に行われていてすばらしい、とカレッジの教授から聞いたことがあった。

 入念にイギリスの学校の教科書を調べたわけではないけれど、当時機会があって義務教育期の公立学校で使っている教科書数冊をパラパラと斜め読みしたが、僕は、知識「量」は日本ほどではないにしろほぼ同等レベルではないかと感じた。

 いずれにせよ、見聞きした限りでは、できないことを叱ったり、注意したりすることはほとんどなく、先生や親が生徒の良いところを褒めることで、生徒は自分のできないことよりもできることに目を向けられるようになり自信を持てるやり方だ。むしろ全体の同一性よりも、生徒自身の主体性を促し、学習や社会生活への探求心を育み、他と違う考え方や多様性を伸ばすことに重点を置いているようだった。つまり上意下達的に「量」や「質」を供給するのではなく、個々が自主的に向かうべき「量」、「質」の目標、到達するためにやるべきことを見出していけるように寄り添い、手助けする、そういった手法であるように思う。

 従い、テストや宿題などは「量」としての暗記力を問うことはほとんどなく、自分で調べ考えて導き出すものが多く、平準化、均一化した解答が存在することはほとんどなく、いろいろな答えが存在するような課題によって思考プロセスや論理を重視した、何というか―「有機」的資質とでも言うのかーとにかくそういった資質を伸ばす「教育」が実践されていた。

 どちらの方法論も長所があり、また短所もあるのだろうし、その置かれている時代や環境、比較の仕方などによっても変化し常に多面的に評価や批判をされるので単純に比べることはできないし、絶対不変の正論としての「教育」方法は無いのだろうと思う。

 転じて、教育生産物としての僕自身をよくよく観察すると、僕は両教育が交配し混ざり合ってはいるけれど、どこか水と油のように分離しているところがあって、あまり質の良くないハイブリッドなのだ。今となっては、どちらか一方のやり方で育った純血なサラブレッド達の足元には遠く及ばない。

 ともかく、興味がわいたので「教育」と英語「education」の語源を調べてみた。

一部ここで手短に紹介すると、「教育」の漢字の語源は「教」は棒をもって注意する親や師との関係を表して、「育」は子供が立派に育つといったことを示しているとある。

 対して、英語での「education」の語源はというと、ラテン語の「educatus」で、「e」は「外へ」を意味する接頭語で、「ducere」は「導く」ことを意味し、「導き出す、引き出す」から「education」は派生し成り立っているとある。

 なるほど!

 どちらもハタと膝を叩き、腹落ちする話で、名は体を表す―言葉というのはあやまたないものだとつくづく思う。

 さて前置きはこれぐらいとして、僕の教育の逸話をひとつ。

僕はリッチモンド・カレッジで社会学の講義を中心に心理学基礎の講義とその他一般教養科目の講義を幾つか受けていた。特段熱望して社会学を希望し選んだわけでは無く深い理由もなしになんとなく面白そうだな、と思い、そうしたのだけど。結果、社会学の講義は、半年ほど過ぎた頃から一番好きな科目になった。

 その社会学の教授は何冊か研究本を著した人で、その筋で名を売った学者ではなかったようだが、噂では熱心な学者であり教育者としても優れた人との評判だった。このカレッジ以外でも教鞭をとられていたようだ。

 教授は教科書めいたものを使うことがなく、講義の都度、プリントしたものをホチキスで留めた小冊子を用意して、時折、それを参考にする程度で、さらには黒板を使うということもほとんどなかった。

 大抵はその講義の都度教授がテーマを提示して、皆でそれについて討論、あるいは議論し、その結論らしきものに解釈やら分析を加える、といった感じで授業は行われた。宿題もほぼ毎回あり、次の講義までに、配られた小冊子にある記事の抜粋やら、書籍の抜粋などを読んでリポート提出といった具合だ。

 テストも、「何々を考察して考えを述べよ、云々」、といったことで事前の試験勉強がまったくお手上げで、試験の点数は何をもってつけているのかおよそわからない雲をつかむような手ごたえのないものだ。

 何しろ正解、解答と呼べるものがないのだ。

 テストの答案用紙を返してもらってもAだのB+などと朱のインクで結果や添削は書いてあるのだが、教授からのコメントがここはGoodとかExcellentとか書かれてあったり、下線が引かれてあったりしているだけで朱入れの部分が採点ポイントだということはわかるのだが、一体どういうことなのか―暗中模索の思いがあった。

 話を講義に戻すと―

 教授が進行役となって、「本日のテーマは、『人はなぜ集まり集合体となるのか』。さあ、誰から発言してもらおうかな。おっ、ミスター・マクミラン、何か言いたそうだね―。お願いできるかな―」例えば、そんな具合に始まる。

 彼の講義クラスにはイギリス、インド、中近東諸国、ヨーロッパの国々から、そして中国からの生徒と多種多様な背景を持つ学生が受講していた。授業としてはそんな生徒からの発言やら、主張を聴くのは思いもよらない視点や発見があったりしてとても興味深いものだったけれど、乱暴な言い方だけどホームルームのような風で学習になるのかなぁ―と訝っていた。

 最初のうち僕はどちらかというと、教室の後ろの方に座ってなるべく目立たぬようにもっぱらひっそりと聴く側に徹していた。それは僕の英語力やコミュニケーション能力によるところがもちろんあるのだが、何か議論の内ではなくて外側にいて参加している実感がなく、発言や意見を積極的に行うことへの躊躇感がいつもあり、それは僕の語学力ではなくてもっと本質的なことに起因していたように思われて少々悩んでいた。

 今でもよく覚えているが、僕はそのことを教授に相談したことがあった。

 授業が終わって、教授から「ちょっと時間あるかね―」と呼び止められ、促されて廊下を並んで歩きながら教授の事務室に向かった。

 「君は、クラスの他の生徒達の発言をよく注意深く聴いていますね」

 「……あっ、はい。ただ私の場合お分かりだとは思いますが、英語がまだまだで理解するのが精いっぱいで、そうしないと……」

 「発言が少ないのはその英語のせいなのかな……? ―あっ、いや、それはそれで、そういった気持ちは私もわかるよ。昔、一年程、学生の頃ハイデルベルグで研究していたことがあってね。そりゃ私のドイツ語は酷いものでね、君の英語の比ではなかった―。まったく恥ずかしい思いをしたよ」

 「……ええ……。まあ、英語もそうなのですが……何て言うのか……。私が発言しようとする内容は、他の生徒がすでに同様の発言をされているとか、いろいろな違った意見が多く出てまとまらない状態でまた新たに私から意見を言うのも……それに、まずもってそもそも私の意見は間違っていて的外れかもしれないし……」

 「ふむ―」と小声で言うと、教授は立ち止まって、首をドアの方に軽く傾け、ここだよと目配せして、自室のドアを押し開けて中に入り、ソファーにと僕に手招きで促した。

 「さてと。―それで? 続きを聴かせてください。ミスタ―・ノグチ」

 僕は促されて、教授の授業で悩んでいたことを、たどたどしかっただろうけどできるだけ丁寧に率直に思っていることを話した。

 教授はそんな僕の話にうんうんと時折うなずき、何度かソファーに深く腰掛け直したり、腕組みをしてみたり、途中なにか意見を挟むわけでもなく最後まで黙って聴き終わると少しの間僕を見ながら何か考えている様子だった。

 ゆっくりとソファーから立ち上がって、机の上のガラス製の分厚い灰皿に置かれてあったパイプをくわえて、柄の長いマッチ棒の火をパイプの口に近づけ二度三度吸って煙草に火を移して、紅茶ポットを手にソファーに戻ってきて座ると「もう、ハイティーの時間だからね―」と部屋の時計を見ながら僕にポットの紅茶を勧めた。

 時計は夕方の四時を過ぎていた。

 「さて、ミスター・ノグチ、君は将来素晴らしいリーダーになるかもしれないね」

と言って小さくウインクをした。

 「…………?」

 「じゃあ、一つ興味深い話をしよう」といってこんな話をしてくれた―

 一九六二年にアメリカとソ連の間でキューバ危機が起こる。

 ソ連がアメリカのお膝元に位置するキューバに極秘でミサイル基地を建設した。これを察知したアメリカはこの事案に対してどう対処するか速やかに決めなければならなかった。

 キューバは地理的にはアメリカのお膝元だ。ソ連が背後で主導しているのは火を見るよりも明らかで、言わばソ連からアメリカの襟首にナイフを当てられているようなものだ。安全保障委員会、軍幹部の意見は国家の緊急事態、キューバにミサイルで基地への破壊攻撃をすべきとの意見が大勢派を占めていた。そうなればソ連との核戦争にも発展する重大な危機的状況だ。新たな大戦がはじまることは回避できない。かといってこのまま手をこまねいて見過ごすことはできない。

 若きアメリカの大統領ケネディは苦悩する。

 ケネディは弟である司法長官のロバート・ケネディと大統領顧問二人に、あらゆる専門家、政治家、知識人を至急招集しアメリカが取るべき対策、行動を議論し提案を持ってくるようにと命ずる。

 但し、幾つかのルールをくれぐれも守るようと厳重に指示する。

―大統領自身はその会議中の議論には参加しない。

―その道の専門家以外、例えばカードゲームの名手(これは信憑性があやしい、教授の脚色かもしれない)、キューバ情勢を知る商社マンなど異なったバックグラウンドからの視点、議論参加、提案の機会をつくること。

―ことこの会議の議論は無礼講だ。つまりは出席者の立場や属する組織などを代表する利害関係ではなく、会議構成員として全員平等の立場で参加、発言すること。

―いかような提案であれ、「相手の靴を履くこと」―Put yourself in their shoes―つまり、可能な限り相手(ソ連)の立場を考え抜いて、キューバ、ソ連内で、その他の国々で引き起こされるであろう影響を考慮すること。

―そして最後に最も大事なこと、弟のロバート・ケネディと大統領顧問、この二人に会議の議論中は他参加メンバーそれぞれの発言、意見、主張、そして提案に対して、冷静にその欠陥、弱点、リスクなどを徹底的に見つけ出し、あえて反論、批判すること、たとえそれが同意できるものであっても。

 これらルールを厳守して速やかにアメリカが取るべき提案を複数まとめ上げ大統領である自分に提示するよう指示した。その上で大統領として決断し責任をとる―

 「―それからの顛末は君も知っているかもしれないが―」と教授はパイプを一服ふかして続けた。

 その会議はそれから毎日夜遅くまで断続的に十三日間行われる。当初大勢であったキューバへの先制攻撃案が会議、議論が日々進むにつれ徐々に後退しはじめ、幾つかの新しい案が産まれ始める。

 大統領は毎日、弟と大統領顧問の二人から会議の進捗具合、提案内容、各提案の議論時間など克明に報告を受けていたが、一切自身の意見は口にしなかったという。

 そしてついにその会議から最終提案が大統領に報告される。

 提案は六つあり、それぞれにつき内容、プロセス、期待される最良効果と最悪のシナリオ、ソ連、キューバ内での影響、アメリカ同盟国、その他諸外国の反応など、多岐に渡り網羅された提案が当初の想像をはるかに超えて、会議の成果として提示された。

 「余談だが―」と一息ついて教授は言うと「真相はわからないが……」その中にはキューバへの先制攻撃案も残っており、エピソードとしてロバート・ケネディが大統領への報告会出席時に隣に座っている兄の大統領に、小さなちぎったメモをテーブルの下で渡したという。メモには「兄貴、真珠湾攻撃時の東条首相の気持ちが今、理解できる―」と走り書きしてあったそうだ。

 ケネディ大統領は、最終的には核ミサイルによる当初大勢であった先制攻撃案ではなくキューバへの海上封鎖という方針提案を決断した。

 会議参加者の長い十三日間は終わった。皆一様に疲労困憊し会議テーブルを力なくぼんやりと見つめ、これからの世界の行く末を考えていたという。

 かれらは、ソ連との武力対立を回避し、二国間の交渉にソ連を引きずり出し、ソ連のキューバからのミサイル撤去という譲歩を引き出すことに成功した。もちろん、緊急事態の外交交渉であるから、どちらか一方だけが譲歩することはあり得ないし、事実、内密の譲歩もアメリカはソ連に対して裏取引している。

 教授はそこまで話すと、少し窓を開けて外気を部屋に呼び込んだ。

「ちょっと換気をしないと、部屋がパイプの煙で煙い、とアシスタントに叱られるからね」と、そんな風なことを言って肩をすくめておどけて見せた。

 「ソ連側の出方にもよるので事はそんなに単純ではなかったかもしれないが、いずれにせよ、ケネディ大統領は類まれなるリーダーで政治家であることは間違いない。そして、このキューバ危機が我々に与える教訓は、幾つもあるが、社会学ではとりわけ注目すべき点があるのだよ。彼の高い学歴、知識や経験ではなく―いや、もちろんそれらも、そうだろうけど。それよりもはるかにすばらしいこと、それこそがケネディを類まれなるリーダーだと後世に言わしめる理由だよ」

 「つまり、ミスター・ノグチ。いかに知的水準の高い人、例えばその道の専門家、政治家、研究者、知識人でも「似たような意見や志向」をもった人たちが集まるとそのアウトプットの知的成果物の品質はすこぶる低下してしまうということだ。多数決が引き起こす最大の弱点でもある。そして、仮にそのようなアウトプットの質の低下が予見される際には、多様な視点や方向性を促し、たとえそれが自身の主張や意見と違っていて正反対であっても、あるいは大勢が決まり少数意見がないがしろにされている際は、わざと反駁する視点を徹底的に突きつけ、よりよい質の結論、成果物、アウトプットを導くプロセス、そして取りも直さずその勇気が必要ということです。これが健全な社会であり、成熟した社会で、民主主義の根源なのです―それをケネディは見抜いて対処したことです」

 「そういった役割、つまりロバート・ケネディと大統領顧問がその重要な会議で担った役回り、その発言をイギリスではデビルズ・アドボケイト、『悪魔の代弁』と呼んでいます」

 ―devil`s advocate

 「―とても重要な大事な役回りですが、孤独で困難な、そして自らの意見や主張を押し殺し、いつも注意深く耳を立てて、周りから誤解を受ける―誰もがやりたくない嫌な役回りの立場だし、誰もができるわけでもないのです。社会生活のあらゆる場面で―それは国家でも、家庭でも同じです―質の高い結果や成果を得るためには必要で健全なプロセスであり、役割なのです」

 「さて、君は私のクラスで『悪魔の代弁』をするにふさわしい人なるかもしれませんね―」と言って、口元で静かに微笑みながら頷くように首をこくりと動かした。

 今はもう教授の名前は忘れてしまったけれど、僕はその教授のおかげで「education」の本質の片鱗を垣間見た気がした。

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